2010/11/09

シゲサブローの推理

シゲサブローの推理

ふっふっふっ・・・名探偵 明智シゲサブローです。
前回のお遍路日記で、知多新四国88箇所めぐりの
納経帳の空白部分の秘密について、隠された部分があると指摘しました。
「知多四国八十八ヶ所奉納経」発行責任者の半田中央印刷の
著作発行人「高井昭弘」氏は、何を考えているのでせうか?
この隠された空白部4頁は何を求めているのか?
それは !!!!!!!
秘密です。
いやっ・・・・・・・・・
そうとばかりはいっていられない。
わたしは、すでに2日前には結願したと浮かれていたのです。
つい、昼間から禁断の祝杯まであげてしまいました・・・
(要はおさけのんでしまいましたあ・・デブルぞー)
・・・
ということで、ちょっと考察
・・・
前回の記念ライドの記事の中で、
知多新四国88箇所巡りの納経帳の空きページが、
八事の興正寺にお礼参りに行っても
まだ、3つ残っているということを書きました。
他の方の知多四国めぐりの記事の中には、
日間賀島で37番札所大光院にお参りしたついでに、
お隣の鯖大師でお参りしたら、
「うちは後ろから2番目に納経印押します。一番最後は興正寺さん」
と言われましたと書いてあるのも見つけましたが、
それだと、あと2ページはどうするんだいと言うことになり解決しません。
やはり、わたしは縁の深い三河三弘法が、この空白を埋めると推理します。
エヘン・・
そこで、三河三弘法について、ちょっと調べてみました。

三河三弘法一番 見返弘法大師 弘法山 遍照院
三河三弘法二番 見送弘法大師 大仙山 西福寺
三河三弘法三番 流涕弘法大師 天目山 密蔵院

お大師さまが、西暦814年(オントシ41歳の時に)
関東地方への布教活動の帰りに
三河の国、知立に立ち寄り(おおあんまき食いたかったんやろか・・)、
民衆に請われて、お大師さま自ら坐像を彫刻したものが三河三弘法となりました。
お大師様と縁が深いため、
これらのお寺は三河新四国の1番2番3番札所にもなっています。
江戸時代は、三河の人は三河新四国88箇所めぐりをしたそうです。
(尾張の人は知多まで来て88箇所めぐりをしたようです)
(これは、昔は今と違って川とか海があると通れない。
要は、境川と矢作川は通るのが大変だったということです。)
(木曽川はもっとたいへんだった。桑名はお隣なのに関西人です)

わたしの推理を検証するために、三河三弘法に来週行こうと思います。
乞うご期待!(次回に続きます)

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